毎年、五月二日の御祭神安徳天皇御命日を皮切りとして以後三日間に亘り行われる。 『関の先帝、小倉の祗園 雨が降らねば金が降る(風が吹く)』と古くからぞくようにもある如く祭礼日は数十萬の人出で賑わい、下関市の繁栄は往古以来この先帝祭に在ると言われる。其の由来するところ壇之浦に平家滅亡の祭、中島四郎大夫正則(伊崎町、中島家の祖)と言へる武士郎党を率いて赤間関西端王城山に籠り、再興を謀りしも機運遂に至らず、漁業を営むに至れり。やがて例年先帝祭御命日には威儀を正して参拝を続け、今日に至りぬ。 また多数の女官達、赤間関在住の有志にたすけられ、山野の花を手折りては港に泊る船人に売り生計を立つる中に同じく先帝御命日に至るや年毎に閼伽を汲み、香花を手向け威儀を正して礼拝を続く。即ち上臈参拝の源なり。 爾来連綿として廃絶なく今日さらに殷賑を極め、官女に警固、稚児が従い、上臈に禿の随う美しい列立は遠く平安の昔、宮中に行われし五節舞姫の形に倣い、絢爛豪華なる外八文字道中は実に天下の壮観にして観者の固唾を呑ましめ将に西日本唯一の行事と称えらる。 (無形文化財指定) |