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旧暦では十一月から一月までを冬という。したがって十一月の祭りは本来冬祭りに属する。その最たるものが新嘗祭である。伊勢神宮の神嘗祭に始まる全国神社の秋祭りは、新穀感謝の意味もあるが、その年の初穂を神にささげることで、神の力のさらなる更新をはかるのが本来の目的である。そして新嘗は、「贄(にへ)の忌み」=(神に食事を差し上げるための斎み籠りのこと)を語源とすることからもわかるように、神祭る人が、そのように更新された神に近づき、神と共食することで一体となり、神の力を受けて、新たな生命力を得ることを目的とする。神祭る人とは、国全体でいえば、天皇、地域でいえば各氏神の神主、古代には各氏族の長がその大役を担った。
だから、本来米作りに代表される生産生活や勤労は、単に肉体を養うためにのみ行われるものでなく、むしろ霊魂のよみがえりをはかるための新嘗の祭りのために行われるというのが本義である。
たとえ農業生産が少なくなり、工業や商業が産業の主体となろうがこの基本精神は無意識のうちに日本人の勤労観となっている。それは日本人独特の仕事に対する神聖観、あるいは仕事を人間修養の道ととらえる姿勢である。戦後の急速な復興や、高度経済成長を推進した力は意外と古代の祭りと生産の心に源があるといえよう。「勤労感謝の日」という発想にもその片鱗がうかがえるであろう。 |