十二月号
 
○ 「ふゆ(冬)」祭りの本義
 
       あらゆるものは循環をくり返すことで、新たな生命を得て発展するというのが祭りの本質であるということができる。無数の銀河や天体そのものが絶えず生成と消滅をくり返しているし、生物も生と死をくり返している。さらに言えば、大きな循環はその中に無数の段階の小さな循環を含んでいる。人間の生を支えているのは、無数の細胞の絶え間無い生死の循環にほかならないし、その究極は一刹那の素粒子の生滅に至る。しかし、滅するように見え、死するように見えるのは、現象のみを見るからであって、本当は生命のふるさととでも云うべき大本の心があって、すべてはそこから霊気を吹き入られて生まれてきては、霊気を使い果たすと再び生命のふるさとへ帰って霊気を補充してもらうことで新たに生まれ変わるという仕組みになっているとも言えよう。この考え方に立つのが太古の人類普遍の英知であったし、その英知を行事化して今日まで絶える事なく伝えているのがわが日本の祭りの心である。
 人間を支えている最小のサイクルが素粒子ならば、人間は一刹那に死んでは、生まれ変わっているとも言える。したがって、どんな小さな社のどんな小さな祭りであれ、参加する人は、自分はこの祭りを通して大本の生命に帰り、新たな霊気、生命の補充を受けるのだと念ずるのが最も基本の心がけでなければなるまい。つまり、神社や祭りは大本の生命と現象世界をつなぐ接点になっているのである。これは科学的にも立派な理論として成り立つであろう。
 その祭りの中でも一年をサイクルとした最も重要なよみがえりの祭りが冬祭りなのである。その最たるものが新嘗祭である。(現在は新暦の十一月二十三日であるが、本来は旧暦十一月下の卯日、つまり冬至の前後に行われた)
 その行事の核心部分は、太陽の力が最も弱まった冬至の頃の夜、一家や一族の代表がお籠りをして神様(大本の生命)と一体となり、霊気のこもった清浄な食事をいただくことで生命力をよみがえらせるとともに、そのことを通して一家一族全体の上に新たな霊気を吹き込むのである。つまり、霊気(みたま)のふゆ(増加)が冬なのである。このとき増えた(新たになった)みたまを突き固めてしっかりと一家一族の内につなぎとめ、生命力の活発な活動を引き出すために神楽を行うのである。
 かように、古代には家長や氏の上(実際の神事は巫女としての婦人が行う場合が多かった)が一族や一家を代表して新嘗祭を行い、家族や村全体の生命のよみがえりをはかった。今日この古来の伝統を継承し、厳格な新嘗祭を行われているのが民族の生命を象徴する天皇である。したがって、毎年のこの祭事を通して天皇は国家民族全体の生命の更新をはかっておられることを忘れてはなるまい。各神社の新嘗祭もこの天皇の新嘗祭に呼応する形で行われるのである。
 勤労に感謝する日とは、もうひとつ奥に勤労を支えて下さる神々への感謝であり、さらには天皇への感謝でなければならない。
 
○十二月の主な祭事
  十二月 十 日 干満の状態により午前九時から十一時までの間で変動
    しめなわ祭り
 
  十二月二十三日 午前十時
    天皇御誕生祭 
 
  十二月三十日  午後四時半
    大祓式