二月号
 
○ 節分の意味
 
      節分とは、元来立春、立夏、立秋、立冬の前日、つまり四季の変わり目をさす言葉であるが、現在では立春の前日だけが特に強調されている。それというのも、昔の暦の観念では、立春から次の年の立春の前日、すなわち節分までが一年という考え方であり、したがって節分が終わった次の立春からが正月になるということで、いわば大晦日にあたるために重視されたものであろう。古来宮中では大晦日の夜、追儺(ついな)行事といって疫病や災難のもとである悪鬼を退散させる儀式が行われていたので、民間においてもこれにならって節分に悪鬼を祓う行事が広まったらしい。米が生命の源として大切にされていたため古来祓行事に使われるのと同様に、大豆も大切な淡白源であり、健康にもいいものなので、鬼祓いに使われたものであろう。これは同時に鬼への施しでもあり、「まめまめしい」という言葉のはたらきをも重んじたと思われる。ここにも生活と祭りの一体という日本における祭祀の特色をみるのである。
 
○祭りとは
 
    「まつろふ」、すなわち、心より従う、神のお側にお仕えするという意味をもつ。また、「真釣り」、神と人が釣り合いながら一つになる、さらに、「待つ」、神の降臨を待ち望む、との意味も含む。
  「まつり」は三つの要素から成り立つ。すなわち、「清め」と「感応」と「和楽」である。お寵りや手水やお祓いは清め、祝詞や玉串や神楽は(神威の)感応、直会神賑行事は(神人の)和楽をそれぞれ現すものである。これらが過不足なく備わってこそ真の祭りと言えよう。
 
○二月の祭典行事
  二月  三日 午後五時
    節分祭 (立春を迎えるに先立ち、摂社鎮守八幡宮の大前で罪を祓い、無病息災を祈って年男年女が豆を撒いて邪気を祓う。青年部による創作鬼神楽も上演される)
 
  二月十一日 午前九時
    紀元祭  (天皇初代神武天皇が大和橿原宮にて即位された祭日。全国の神社、また国や地方自治体でも各種の奉祝行事を催す。神武天皇のおことば「天が下をおおいて家となさん」は世界最初の人類兄弟・世界平和宣言である)
 
  二月十四日 午後三時
    真木祭  (勤皇の志士久留米水天宮宮司真木和泉の次男菊四郎が慶応元年のこの日、下関で弱冠二十三才で暗殺され,遺言で紅石山西端に葬られたのを惜しみ、毎年慰霊祭が行われる。
 
  二月十七日 午前十時
    祈年祭  (端穂の国の五穀豊饒を祈る最初の祭り。いわゆる春祭りのこと。年とは元来稲を意味する。当神宮では祭典後、清末にある神田にて清祓式も行われる。)