三月号
 
○春まつりの意味
 
      日本の祭りは稲作と深くつながっている。春とは、自然万物の生命が「はる」=張る、という意味があり、すべてのものが厳しい冬を耐えて外に向かって現れ出ることである。そこで春になると山の神=祖先の神も里に下りて来て田の神となり、秋の実りをもたらしてのち、再び山に帰っていくというのが古い信仰である。
 そのため、春は神迎えの行事が各地で行われるのである。これが春祭りの源と云えるであろう。立春ののち最初の午の日を初午と云い、各地の稲荷神社で祭礼が行われるものも神の出現を祝う意味合いである。
 
○禊(みそぎ)について
 
    大寒や立春の前後には、神社関係者などのグループで海や滝場において禊の行を行うことが多い。「みそぎ」とは、水(霊)注ぎ=みそそぎ、の略と云われる。すなわち、神話のイザナギノミコトの「筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あはぎはら)」における禊祓(みそぎはらい)に習った最も由来の古い行法である。日(ひ)と水=海にこもる霊力によって心身の不浄を除去し、自分自身の本心(直霊=なおひ)の力を最高の状態にする神秘を伝えており、最近健康法としても注目されている。
 
○三月の祭典行事
  三月上旬の土・日 午後一時
    平家雛流し神事 (古代中国で三月上の巳の日に行われていた上巳の節供に、わが国上代より行われていた心身の穢を祓う目的で人形(ひとがた)に穢を移して海川に流し去る祓の行事がむすびついたのが三月三日の雛祭りの起源。平安時代には小川に盃を浮かべて歌をよむ曲水の宴や雛形玩具の遊び=ひひな遊び、に発展し、室町時代ごろにほぼ現在のような雛飾りが宮中や大名家で始まり、江戸時代には武家や民間にひろがっていった。内裏びなと云われるように、雛人形には宮中のみやびを慕う日本人の長い文化の流れがあらわれているとともに、桃の花や白酒や菱餅など災厄を祓う意義を伝えている。
赤間神宮の雛流しは、その上にさらに龍宮へ行かれた安徳天皇を慰霊する心が重なって関門海峡に紙びなを流すのである。その他曲水の宴、歌会、句会も催される)
 
 
  三月二十一日 午前八時半
    春季皇霊祭  (いわゆる民間でもお彼岸として祖先の霊を祭るが、宮中では皇霊殿において天皇様の祖先のお祭りが行われるため、天皇社赤間神宮では遥拝式を行っている)