五月号
 
●五月の祭典行事について
  ◎五月(さつき)に籠る日本人の信仰
  さつき、さみだれ、さなえ、さおとめ、さくらなど春から夏にかけてのことばの中に、「さ」が付く一群のものがあります。これは単なる接頭辞ではなく、実は「田の神」をあらわす言葉なのです。この時節には祖先の神霊が田の神として山から里へ降りてきて、子孫たちを祝福し、田作りの仕事を守ってくれるという、古い信仰が根にあって生まれた言葉であります。従って、桜(さくら)が咲くのも田の神様がやってきたからだというわけです。
その意味で、さつきは命さわやかに青葉が芽吹く季節であるとともに、さなえを植える田植えの季節であり、神霊の息吹き天地に溢れ来る季節であると言えるのです。
 
◎五月二日 御陵前祭・平家一門追悼祭
  明治八年赤間宮創立に際し、壇の浦合戦の旧暦三月二十四日を新暦に換算して安徳天皇御命日となる。この日阿弥陀寺陵で祭典を執行、また全国平家会参列のもと本殿では先帝祭前日祭に合わせて平家一門追悼祭も行われる。
 
◎五月三日 先帝祭上臈参拝
  平家滅亡後、生き残った残党たちは山中に籠って密かに平家再興を待ち望んだが、その夢も空しく、やがて百姓、漁師、あるいは花売りと化し、苦難の暮らしに耐えてつつも、幼帝思慕の情押さえがたく、阿弥陀寺の先帝会の前後、陵前に密かに香華を手向けたという。後にそうした女官たちの心を遊女たちが受け継いで江戸の頃今日の行列と参拝の形が出来上がったと伝える。
 
◎五月四日 先帝祭御神幸祭
  安徳天皇の御尊骸が引き上げられ、密かに葬られた場所と伝える小門(おど)のお旅所まで御鳳輦を奉じて行列し祭事が行われる。古代衣装を着飾った崇敬会員や稚児らが奉仕する。
 
◎五月十日 大連神社春季大祭
  大連神社は元満洲国大連市に鎮座した満洲総鎮守。赤間神宮前宮司(故名誉宮司)の叔父であった松山逞三大人により日露戦争直後の明治三十九年創立された。終戦とともにソ連軍進駐の中、水野宮司が命がけで奉護し、昭和二十二年内地奉遷、福岡の筥崎宮に一旦留まるも昭和二十四年水野宮司の赤間神宮赴任とともに同神宮境内に奉祀、昭和五十五年現在地に鎮まる。
 
五月の言葉
  大御田(おおみた)の水泡(みなわ)も泥(ひぢ)も掻き垂れて取るや早苗はわが君のため
    賀茂真淵
    (天皇国日本の原点は田作りにあるというのが古来わがくにの民の真情であり、深い信仰であります。)