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だんのうら にょかんじょうろう |
壇之浦に平家滅亡の後多くの女官上臈 |
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たちは赤間関在住の有志に助けられ、 |
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山の花を手折っては港に泊まる船人に |
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売り、生計を立てる中に、毎年先帝ご命 |
あ か こうげ |
日を迎えるごとに閼伽を汲み香華を手向 |
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け御陵前に威儀を正して礼拝を続けたも |
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のが上臈参拝の源です。 |
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平家の女官達が寂しく世を去った後、そ |
あかまがせき |
の御霊を悼む赤間関(下関の古称)の |
じらい |
人々はその志を継いで参拝を続け、爾来 |
かんにょ |
連綿として今日に至っております。官女に |
けいご ち ご じょうろう かむろ |
警固、稚児が従い、上臈に禿の随う美し |
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い列立は遠く平安の昔、宮中に行われた |
ごせちまいひめ |
五節舞姫の形に倣い、絢爛豪華な外八 |
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文字道中は実に天下の壮観としてまさに |
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西日本随一の行事と称えられています。 |
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五月四日、先帝祭最終日を飾るのが |
ごじんこうさい |
御神幸祭です。赤間神宮より安徳天皇の |
ごそんがん |
御尊骸を引き揚げたと伝える伊崎の御 |
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旅所までの約6.5キロの行程(往復約 |
ごほうれん |
14キロ)を牛の牽く御鳳輦を中心に平安 |
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の行列絵巻が往復する様はまことに圧 |
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巻です。 |
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