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だんのうら あ み だ じ |
壇之浦合戦の後造営された阿弥陀寺内安徳 |
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天皇御陵の上に建久二年(1191)朝廷は長 |
みえいどう |
門国に勅して御影堂を建立し、盛大な先帝法 |
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会が営まれることになりました。 |
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明治以後阿弥陀寺を廃し、赤間宮となってから |
ごりょうしょうしんさい |
は御陵正辰祭と称して、毎年五月二日御陵前 |
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において宮司以下神職により慰霊祭が行われ |
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ており、先帝祭の最初を飾る重要な祭事となっ |
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ています。 |
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明治維新の神仏分離令により阿弥陀寺が廃さ |
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れ、明治八年(1875)官幣中社赤間宮が創立 |
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され、昭和十五年には官幣大社となり赤間神 |
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宮と改称されました。五月三日は先帝祭当日 |
ほんでんさい |
の大祭として先ず本殿祭が行われます。 |
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先帝祭は創立時諸般の都合により旧暦3月2 |
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4日の御命日の一ケ月遅れとなる4月24日を |
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中心に23日から25日に渉り斎行されておりま |
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したが、昭和六十年、百年に一度の式年大祭 |
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(八百年式年大祭)が勅使参向により斎行され |
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る為明治八年当宮御創建時に定められた5月 |
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2日に復古し、以後5月2日・3日・4日の三日 |
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間に渉って斎行されるようになりました。 |
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本殿祭に引き続き、御神前では天橋を渡って |
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数々の特産物の献上や芸能の奉納などが |
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賑々しく行われますが、特に高松宮喜久子様 |
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献詠の御歌に作曲振付けした神前舞「龍宮」を |
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四人の巫女が乙姫のように舞う姿は衆目を奪 |
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うものがあります。 |
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