水天門の由来

水天門

 寿永四年三月二十四日壇之浦合戦に平二位の尼前は「今ぞしる みもすそ川の おんながれ 波の下にも 都ありとは」と詠じ給い此の事を深く思召されし昭憲皇太后宮は明治九年に「いまも猶 袖こそぬるれ わたつみの 龍のみやこのみゆき思へば」との御歌を奉献あらせ給へり 此の御ゆかりを かしこみ奉りて、昭和三十三年、世界唯一の竜宮造りにぞ御造営成るや、同年四月七日 天皇皇后両陛下には親しく神宮に御参拝、御通り初めの栄を賜ひ、あまつさえ御製一首をも下し給へり 即ち「みなそこに しづみ給ひし 遠つ祖を 悲しとぞ思ふ 書書見るたびに」
 御祭神安徳天皇は水天皇大神と称へ奉り 徳富蘇峯翁は之が奉建に際して「玉体を水底に鎮め給ひしも、御霊は天上にお在しまさば、此の神門を『水天門』と申し奉る所以なり」とせらる。 蓋しその結構壮麗雄大にして古今無比、他に類例なく将に天下第一の観たり