四月号
安徳天皇神徳記
御祭神は第八十一代安徳天皇様です。今から八一三年前、源平壇の浦の戦いにより御祖母二位の尼(平清盛公夫人時子の方)に抱かれ関門海峡の海底深く入水されました。時に御年わずかに八歳。
この時、二位の尼の詠まれたというお歌が長門本平家物語などに伝えられております。
今ぞ知る みもすそ川の 御流れ 波の下にも 都ありとは
すなわち、安徳天皇は龍宮に潜幸されたとの信仰の披瀝でありましょう。それと申しますのも、皇室の御先祖と龍宮世界とは深いつながりがございます。初代神武天皇の父君(ウガヤフキアヘズノミコト)も祖父君(ヒコホホデミノミコト)も龍宮界の姫君を妃とされているからです。
そもそも龍宮界は、わたつみの神の都で、一切の生命体の故郷であります。海は生みに通じ、海原は生腹(うむはら)に通ずるというのもその意味です。この太陽系世界に住むものは、いずれも太陽(光・火徳)による霊化作用とともに、地球(海原・水徳)による体化作用を受けて生命体が生成されているわけです。従って神事においては火と水の清浄を最も重視します。
安徳天皇の龍宮潜幸は、そうした意味で由来するところ実に深甚なる意図が秘せられていると申せましょう。
天皇陛下の行わせられる神事の中でも由来最も古いものの一つは、大祓(おおはらえ)といわれ、六月と十二月の二度国土国民の罪穢れを清め祓われますが、その罪穢れは最終的に川から海に流されます。
すなわち、安徳天皇は当時頽廃と争乱の極にあった国土国民を清め祓い、国の生命の再生をはかるため尊い御身を捧げて龍宮水徳を体現し、国家未曾有の大祓をなされたものと拝されるのです。幼帝であられたことがそのことを如実に示しております。なぜなら古来重要な神事には必ず清浄な童児が奉仕せねばならないからです。すべては歴史上偶然の事件として推移したように見えますが、裏から見れば人知を越えた神意の顕現にほかならなかったことが拝されます。かように神々のおはからいがその跡をとどめずにおのずから進行することを古来「神ながら」と申しておりまして、これが、神々の霊筆による日本歴史の操り方の本質でもあります。
かくて、龍宮界の生命浄化・生命のお力を発揚されている安徳天皇の偉大な御神徳を称えて、「水天皇大神」と申し上げるのであります。
本日の御神縁を機にいよいよ水天皇様の威徳を仰ぎましょう。
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